5/21に妙見山のブナ林が川西市天然記念物に指定されたのを記念して、シンポジウム&観察会が行われました。天気にも恵まれ、
前半のシンポジウムは
定員を超すなど大勢のかたにお越しいただき、感謝しております。
古来の人々の信仰と愛が、このブナの森を守ってきたことが改めて確認できた、とても心温まるシンポジウムとなりました。
後半の観察会では思わぬ発見があり、もしかしたら日本最大のウラジロノキを発見したかもしれません。
シンポジウム&観察会に先立って、天然記念物の指定書が川西市教育委員会より地権者である能勢妙見山(真如寺)に授与されました。
シンポジウムではまず、会長のあいさつ。
その後、服部先生の基調講演と栃本先生の特別講演が行われ、その後、事務局からブナ守の会の活動報告と、事務局もまじえてのトークセッションを行いました。
服部先生の講演では、天然記念物についての基礎知識と猪名川上流域は1300年前から文献で炭の生産が確認でき(そのため現在は日本一の里山と呼ばれている)、当時から人が山を積極的に利用していたために、ブナ林の空白地帯となっており、ブナが潜在的にあるはずの場所でも全く確認できない。しかし、なぜか能勢妙見山の山頂だけは残っており、それが極めてめずらしいことである旨、データを織り交ぜて説明がありました。
続いての栃本先生の講演では、妙見山は六甲山と同様、人の住む場所に近く、六甲山のほうが潜在的なブナの生息域はかなり広いはずなのに、ほとんどブナが残っておらず、残っていたとしても一度切られた痕跡があるものがほとんであること(六甲山では崖っぷちなど急斜面しかまともに残っていない)。比べて妙見山は条件は六甲山より悪いのに、比較的平らなところでもブナが残っており、しかもそのほぼ全てが切られた痕跡がないことを、長年の調査データにもとづきグラフなどで分かりやすく解説していただきました。
トークセッションでは、今回の最も大きなテーマである「なぜ妙見山のブナ林は一万年もの間残ってきたのか」について重点的に意見が交わされました。
結論としては、妙見山のブナ林は人間の意思で残してきたものであることは間違いなく、弥生時代末期からの日本人の信仰観(自然や山自体が信仰の対象である)を考えると、妙見山に対する信仰と愛があったからこそ先人達は残してきたのだろうという結論になりました。
また、面白い仮説として、妙見山は難波宮のちょうど北の位置にあるため、難波宮の北の守護という観点もあるかもしれないとの事でした。
その後の観察会では、代表的な社寺林である地元「吉川八幡神社」のコジイの自然林(妙見山ほどの古木はないので、完全な原生林ではないようです)を見学し、里山の代表として台場クヌギの育成場所を、そして最後は妙見山のブナの原生林を先生方と北摂里山大学の講師もつとめる当会副会長の案内で見学してまいりました。
吉川八幡神社のコジイ林の解説をする栃本先生。
台を残して枝を育てる台場クヌギ。クヌギの育成は8年かかり、山を8つの区画に分けて育てているとのこと。
妙見山のブナ林の説明をする信田副会長。ブナの種や葉の特徴など実際の木や葉を見ながら説明。
妙見山内で一番大きいブナの木の前で説明する服部先生。
妙見山のブナ林は、林内に巨木のアカカシが共存している。お互いの生息域の限界を競っている事が分かる。山の北面はブナが多く、南面はアカカシが多い。わずかな気温の差が勝負を分けるのだろう。
2016年5月23日